気ままにハダノ#25『中興の祖・光西上人』

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今回は、秦野市にゆかりのある中興の祖・光西上人をご紹介!!
江戸時代、飢饉に苦しむ農民を仏教の力で救済しようとした光西上人について、この機会にぜひ関心を持ってください(^O^)/
光西上人とは?
江戸時代中期に生きた宝蓮寺地蔵堂(秦野市蓑毛)の庵主であり、別名”木喰光西上人”と言われており、光西(こうさい)が名で、木喰(もくじき)ー上人(しょうにん)は、穀物を食べず草根・木皮・果実等を食物にして修行する僧のことを言うそうです。
その時代、飢饉などで日本全体が危機に瀕したときに農民を救済するために大般若経(だいはんにゃきょう)600巻を写経して奉納されたり、享保十四年(1729)には全国行脚をして浄財を集め、荒れた大日堂や仏像を修理、また、新堂宇を造営しました。
その後、享保二十年(1735)木食光西上人は地下に設けた石室に入り、座して経を唱えながら入寂されました。

入寂から200年後の昭和十年(1935)、光西上人自身の遺言により発掘が行われ、遺骨や副葬品などが確認された後、それらは石室に埋め戻されました。
現在、大日堂の諸堂宇は、道を挟んだ向かい側に鎮座する臨済宗建長寺派の宝蓮寺により管理されています。
現在の蓑毛大日堂
大山の登山口にあり山岳信仰の拠点として信仰を集めたという蓑毛大日堂は、現在国登録有形文化財に登録されており、その他にも蓑毛不動堂、蓑毛地蔵堂、蓑毛大日堂仁王門が登録されています。

蓑毛大日堂は享保14年(1729年)に建築された近世寺院で、組物を尾垂木付二手先とし、向拝の手挟彫刻を牡丹とするなど華やかに飾られています。

蓑毛不動堂は、大日堂北東の小高い場所に建ち、17世紀末に建築された境内で最も古い建築となります。

蓑毛地蔵堂も細部意匠に18世紀前半の特徴が見られ、
秦野市指定有形文化財でもある蓑毛大日堂仁王門は大日堂南面に建ち、その門の両サイドには木造二王立像が並び立ちます。

ちなみに、この木造二王立像は修理中となっており、それに伴って門の通路が閉鎖されています。
蓑毛大日堂は、NPO法人はだの大日堂保存会によって、建物及びその内部に安置された仏像群の維持、保全が行われると同時に、
歴史・文化の継承、周辺の持続的発展等を目指しながら、秦野の貴重な文化財として後世に伝えて行く活動が行われています。
その一環として、蓑毛大日堂の一般公開が定期的に行われていますので、ぜひ気になる方は、訪れてみてはいかがでしょうか??(*´▽`*)
■営業時間:午前10時から午後3時まで
■一般公開日: 毎月第一日曜日、毎年恒例の特別公開期間
■施設情報:NPO法人はだの大日堂保存会公式ホームページ
■お問合せ:0463-81-3528(蓑毛山宝蓮寺内)
最後に-
いかがだったでしょうか??
秦野の地にこんなにも偉大なお坊さんがいたとは、恥ずかしながらしりませんでした💦
主食が、穀物であったりとか、生涯の最後には自ら石室に入るとかその精神力の強さは図りしえないものです!
この功績を後世まで語り継いでいきたいものですね(^^)
もしこのブログを読んでご興味が出た方がいましたら、ぜひ現地に行ってみてくださいね~
Written by takumi
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