気ままにハダノ#40『秦野のたばこ産業に大きく影響を与えた男~目賀田種太郎(めがた たねたろう)~』

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(引用元;https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/529/)

「気ままにハダノ」では、秦野に関する情報を気ままにお届け!

今回は、秦野のたばこ産業に大きく影響を与えた男~目賀田種太郎(めがた たねたろう)をご紹介!!

知られざる偉人にフォーカスしていきますよ~(^O^)/

目賀田種太郎(めがた たねたろう)とは?

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(引用元;https://www.senshu-u.ac.jp/history/founder.html)

目賀田種太郎(めがた たねたろう)は、1853年8月25日(嘉永6年7月21日) – 1926年(大正15年)9月10日)に生きた、政治家であり、官僚・法学者・裁判官・弁護士(代言人)・貴族院議員・国際連盟大使・枢密顧問官などを務めたエリート中のエリート!

また、専修大学や東京音楽学校(東京芸術大学)の創設者でもあります。

ちなみに、妻の目賀田逸子は、あの勝海舟の三女だそう!

このざっくりとした紹介だけでも、日本の歴史上多大なる影響を与えてきた凄い人物であったことが分かりますね( ゚Д゚)

目賀田と煙草産業の繁栄

(引用元;https://www.tabashio.jp/exhibition/2016/1609sep/02/index.html)

目賀田と煙草産業との関わりは、明治時代にさかのぼります。

1904年(明治37年)日露戦争開戦に伴い、政府は戦費調達に困ります。

そんな時に大蔵官僚であった目賀田は、「嗜好品である煙草を国家の専売とすれば、確実な財源を得られる」と提案。

そこで採用されたのが、”煙草専売法”でした!
それまで農家や仲買人の間で価格が変動し、自由に売買されていた煙草ですが、この法が施行されたことにより、全国各地に設置された専売局を通じて国に買い上げられることでその価格の安定化が図られました。

(引用元;https://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1570937051552/index.html)

これにより、高く売るということはできなくなり、国の専売局によって厳しい検査・格付けなどが行われましたが、相乗効果として、品種改良や栽培技術が進歩し、専売制により農家は安定収入を得られるようになり煙草産業は発展していきました。

また、財源としては初年度から数千万円規模の純益を上げ、戦費の一部を賄うことに成功!
以後、たばこは酒税と並び国家財政の柱となり、民営化される1985年(昭和60年)4月1日までこの法は続きました。

最後に...

いかがでしたでしょうか?

秦野と言えば”秦野たばこ祭り”
そのお祭りもこの法のおかげであったというのもなかなか感慨深いですね(*´▽`*)

また、現在の日本においても煙草にはかなりの税金がかけられていることから、この法の名残が未だ続いているのかなぁとも思いました!

目賀田種太郎さんに関して、経歴から推測するに煙草専売法だけでなく日本の歴史上ありとあらゆることに貢献してきた人物であると思いますので、この機会にぜひ皆さんも調べてみてくださいね♪

Written by takumi